2004/11/5
「川合先生との出会い」 ♪笛
そもそも笛を吹き始めたきっかけは、地元の太鼓チームで“屋台囃子”を叩いていて、“笛があったらいいなー”という先生の一言からです。メンバーの中で自由業という一番いい加減な仕事をしていた私が「よし!いっちょ吹けるようになってみようか。」とケ○コとマナブという本に載ってる邦楽教室に電話し、通う事になったのです。
新橋のビルの4Fの教室で1万円で“明鏡”という銘の8本調子を手渡され、いよいよ笛吹き第一歩です。時間はあったがお金のナイ私は内心「音が出る様になったら、さっさとヤメよう。」と密かに決心していたのです。一人30分程の個人指導なんですが先生が邦楽界には珍しく、くだけた方で待ち時間の部屋にはお菓子やジュースがいつも、どっさり。それを食べながら他の生徒さんとしゃべくりながらの楽しいひと時でした。
稽古の合間に先生も合流。とっても茶目っ気のある、いつも新しい事に挑戦しつづけている邦楽界の異端児といった方でした。「伊東家の人々」で放映された面白い事は(食べ物に関して)次の稽古日には必ず実践されました。カレーに漢方胃腸薬を入れると専門店の本格カレーに変身する技、ペットボトルに牛乳を入れ振ってバターを作る技etc…よく買い物に走りました。すぐヤメようと思っていたのですが、この楽しさと自分より上手い人が襖の向こうで吹いてる曲。「アノ曲が吹ける様になったらヤメよう」と段々、ドツボにハマって行きました。
始めて1年半、カルチャースクールのお手伝いもしました。「初心者を教えるのは、この間まで初心者だった人が一番イイんだよ。」という迷言(?)に渋々でしたが、本当に役に立たなかった私です。生徒と化してました。この頃は吹く事が楽しくて楽しくて、時間もあったので毎日、笛ばかり吹いてました。“尺八譜”を篠笛用に先生が起こした楽譜で「六段」や「八千代獅子」「黒髪」…新しい曲が吹ける事が嬉しくて気がつくと夕方!という日もありました。先生は時々、「子供に吹いてあげたんだよ」と「だんご三兄弟」とかを譜面にしてコピーし、渡して下さいました。
私が笛と出会って2年目の春、突然逝ってしまわれました。教室で皆でワイワイと「先生遅いね~」と待っていた時の悲報でした。51才-クモ膜下出血でした。今でも、最初の先生が川合先生で良かった!と思っています。この後から、自己流メチャクチャ笛人生に流されていくB-MAD…次回で! |
投稿者: B-MAD |
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