短かったお盆休みも終わり、はやくも次の連休を心待ちにしているという人も多いだろう。一方海外では、今がバカンスの最中という国もある。
その一つがイタリアだ。イタリアでは8月に1か月近くの長期休みを取る人が多く、特にピークの8月15日の祝日フェラゴストのあたりは街が空になる現象が起こるという。
「9月までvacationです、サンキュー、あなたも良い夏を!」
イタリアの会社とやりとりをしている人たちにとっては、先方がバカンスで仕事を離れているため待ちぼうけ状態になっているようだ。
「イタリアの出版社に発注メール送ったら自動返信で『9月までvacationです、サンキュー、あなたも良い夏を!』+ 署名代わりに適当な海のAAが返ってきて歯を食いしばった」
「イタリアの取引先は『8月6日から9月4日まで休むわ』って、5日の夜に知らせてきた。ほんとに完全に休業している」
服飾の仕事に就いているという人は、生地を頼もうと思って連絡を取ったところ、「しばらくバカンスだから電話しないでもらっていい?9月には送るわ?」と返された。また、イタリアでオーダーした家具が3か月ほど経っても届かないため、メールしたところ、「バカンス中だから、8月23日以降に返信します」と自動返信メールが来たという投稿もあった。
多くのイタリア人が仕事のことを忘れて長期バカンスを満喫しているのは間違いないようだ。
労働生産性も日本は21位なのにイタリアは10位
中には、取引先のイタリアが1か月のバカンス中のため、「夏休み3日って聞いたら笑われそう。または憐れまれそう」とこぼす人もいた。マクロミルが会社員・公務員を対象に行った「夏休みの過ごし方」調査によれば、日本人の夏休みの平均日数は3.9日。夏休みがないという人も19.2%にのぼっている。イタリアと比べるとなんとも寂しい。
休みの長さが段違いであるのにもかかわらず、内閣府の「2014年度国民経済計算確報」によれば、1人あたりのGDPは日本が3万6230ドルで20位、イタリアが3万5219ドルで21位と僅差。そのため、
「こんだけバカンスもエンジョイしてるイタリアと、夏休みが3日しかない日本で差がないんだぜ…」
と悲観する人もいた。労働者一人あたりが生み出す成果を指標化した労働生産性にいたっては、2015年度の順位で日本が21位のところ、イタリアは10位と大きく水をあけられている。日本人がなんのために休みを我慢して働いているのか分からなくなるレベルだ。
バカンスといえばフランス! 1か月休んだって社会は回る!
また、バカンスといえば法律で5月1日から10月31日の間に4週間の有給休暇を取得しなければいけないフランスを思い浮かべる人も多いだろう。フランスの1人当たりのGDPは18位と日本を超えており、労働生産性は7位だ。
ツイッターでは、休みが少ないのに労働生産性が低い日本を痛切に批判したツイートが話題になっている。
「なんか経済大国みたいに威張ってるけど、日本の労働生産性はOECD加盟国で21位だし、もちろんG7ではビリ。ビリだよビリ。ゆったりバカンスとってるフランス人より、一時間あたりの生産する金額が低いの!イタリア人より稼いでないの! 価値の低い長時間労働をしてるバカの国なの!」
他国のバカンスの実態を知った人からも、
「これだけお休みして社会が回るイタリアって、暮らしの厚みみたいなものを感じるなぁ」
「フランスはバカンスがあっても社会が回ってるんだから日本にもバカンスあってもいいよね…」
という声があがっていた。
あわせてよみたい:【悲報】日本人の疲れ方がやばい
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端的に言えば、疲労回復には脳疲労を和らげる工夫が必要だということだ。『疲れない脳をつくる生活習慣』の著者である医学博士の石川善樹氏もこう語る。
「疲労そのものは、脳が作り出した幻想であると思えばいいです。その証拠に、ちょっといいことがあると、疲れが飛んだりすることってありますよね。つまり脳にとって、負担を与えない心地いい日常を過ごすことが疲労回復には重要なのです。いきなりすべてを改善させるのは、大変ですから、日中の行動など時間を要するところから始めてみてはいかがでしょう」
脳に負担をかけるストレスが諸悪の根源だったのだ……脳疲労をもたらさない生活とは……? 週刊SPA!11月11日号では「疲労を超回復させる秘術」という特集を組んでいるので、ぜひ確認してほしい。〈取材・文/週刊SPA!取材班〉
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似ているようで違う「愛着障害」と「発達障害」、知っておきたい特徴&原因
2016年11月30日 12:12 ウレぴあ総研
ママ、頑張りすぎてない!? 子どもが幸せになるために大事な「ラクする子育て法」
「自閉症」は、その名前から連想されるイメージで「自分の殻に閉じこもる→心を閉ざしている」と思われたり、鬱病と混同されたり、「愛情不足だから自閉症になったんじゃあないの?」と言われたりすることもあります。
「抱っこしてやらないから自閉症になってしまった」「自閉症=愛着障害である」と自分を責めているママもいて、未だに誤解があるようです。
けれども、お腹にいるときから脳機能に障害のある“自閉症”と、生まれた後の親の養育態度によって引き起こされる“愛着障害”は、見た目は似ていても、その原因も意味合いも全く異なります。
今日は、この「愛着障害」について、『立石流 子どもも親も幸せになる 発達障害の子の育て方』の著者の、立石美津子がお話しします。
■愛着障害とは?
■愛着とは何だろう?
10ヶ月の間、母親の胎内にいた赤ちゃんは無防備な状態でこの世に生まれてきます。
人間の子どもは象やキリンや馬のように、生まれた直後から立つことはできません。僅か10センチでも自分の力で移動することさえできません。直立歩行するまでに1年から1年半もかかりますね。
これをスイスの生物学者のポルトマンが“人間は生理的早産である”と言いました。“子宮外胎児”とも言われます。未熟な状態で生まれてくるからこそ、周りの働きかけが重要で伸びしろが大きいのですね。
このように、一人では何もできない赤ちゃんに対して母親は一生懸命子育てをします。
年齢が上がるにつれ一人でできることも増えますが、それでも幼児期はあれこれ世話を焼きます。
この経験を通して、人間の子どもは「この世の中は安全なんだ」と確信を持ち、外の世界へ歩みだすことができるようになります。
布団に置いた途端に泣きだす、「ママ~、ママ~」と母親を追う、家事・仕事などこちらの都合など全くお構いなしに「遊んでほしい」「お菓子が食べたい」とだだをこねる。
子育てとはとても大変なことですが、子ども時代に家庭という安全地帯、絶対的安心感が確立されることにより、やがて親離れができるようになるのです。
■愛着が形成されない状態とは
ところが、愛着が形成されない状況が起こることがあります。
虐待がその例です。
叩く、殴るなどの目に見える虐待ではなく、ネグレクトなどにより生きていく上で必要な世話をされない状態です。
お尻が不快で泣いてもオムツを替えてもらえない、お腹がすいてもミルクをもらえない、お風呂にも入れてもらえない、具合が悪くても病院に連れて行ってもらえない……などです。
こうなると、愛着形成がされません。
ところが、このような明らかなネグレクトでなくても、ごく普通の家庭内で起こることもあります。
いくら泣き叫んでも抱っこしてもらえない、親がスマホやゲームに夢中で笑いかけたり話しかけることをあまりせず、淡々と機械的に世話をする状態です。
すると赤ちゃんは本能的に“泣いても無駄である”と感じ、親の手を煩わせないおとなしい赤ちゃんになります。いわゆる“サイレントベビー”の誕生です。
■子ども時代を引きずる人々
小さいうちは“おとなしく育てやすい子”ですが、幼稚園、小学校に入学してから問題行動を起こすようになります。
初めての集団生活の中で友達を叩くなど多少の喧嘩は誰しもありますが、その衝動的・破壊的行動がいつまでも止まず激しくなります。
母親から得られなかった愛情を他の大人に求めて、保育士が他の子に関わっているとそれを妨害するように机をひっくり返したり、物を壊したりすることもあります。
表面的なものは収まっても、大人になってから、次のようなケースも起こります。
例えば…
特定の人と親密な関係が築けない。
恋愛で恋人が離れていかないようにわざと相手を困らせるようなことをしてしまい、失敗する。
人と親しい関係になるのがわずわらしいと考える
他人からの評価を異常に気にする
自分が嫌いで自己肯定感が低い
人に頼ったり甘えることができない
他人にSOSを出して助けを求めることができない
自分の気持ちは押さえて相手ばかりに合わせてしまう
拒否されたり傷つくことに敏感
嫌われないかといつもビクビクしている
見知らぬ人にも近寄りすぎる
これらは幼い頃に親から愛情を与えられなかった経験が、他人との関係性にまで影響を及ぼしている例です。
■発達障害と愛着障害の違い
■発達障害とは
これは愛着障害とは全く違う概念です。これらを差します。
学習障害(LD)
注意欠如/多動性障害(AD/HD)
自閉症スペクトラム(ASD)
愛着障害は生まれてからの養育環境が原因で起こりますが、発達障害は生まれつきの脳機能の障害で、親の養育態度や家庭環境で起こるものではありません。
例えば“自閉症”は人と関わることが苦手、言葉が遅れるなど愛着障害ととても状態が似ていますが、親の愛情不足や言葉がけが足りないなどの環境要因で起こることはありません。
どんなに抱っこし、言葉をたくさんかけたとしても自閉症は自閉症なのです。それは年齢が上がっても同じことです。
■自閉症の子どもが起こす愛着障害とは
自閉症の子どもは、親の後を追わなかったり、一人で寝かせていても平気だったり、乳幼児期に「あまり手がかからない子だった」と言われることがあります。
そうなると、母親は「おとなしくしている扱いやすいいい子」と思ってしまい、一人遊びをずっとさせることもあります。結果、愛情不足になってしまうこともあります。
また、反対にちょっとしたことで火がついたように泣く敏感な子どももいます。こうなると「とても育てにくい子」として育児に悩みます。
更に少し大きくなってもこれが自閉症だと気づかれぬまま、幼稚園、保育園に入園し、ひと時もじっとしていなかったり、集団行動がとれない場合、「どうして、みんなは出来ているのにあなたは出来ないの!」と激しい叱責をしたり、厳し過ぎるしつけをしたり……。
その結果、子どもには不安感が増し、結果的に愛着障害と同じような状態に陥ることもあります。
また知識のない母親の中にはその特性を理解できず、障害を受け入れることができずに中には虐待してしまうケースもあります。
実際、発達障害の子どもは健常児と比べて4倍も虐待を受けるパーセンテージが高くなっていると言われています。
そうなると“発達障害+愛着障害”の両方が重なることになります。
■ 大人になって「自分が愛着障害かも…?」と感じたらどうすればよいか
どんなに小さなことでもいいので、“自分が認められる体験”を今から積むのです。
幼いころに得られなかった“人から大事にされる、認められる”という経験をこれから積んで、自分に自信を持てるように回復させるしかないのです。
自分が他人との関係性がうまくとれず悩んでいたとしても、過去に時間を巻き戻して親に“育て直し”をしてもらうことは不可能です。
ですから、まず身近な夫婦関係において、夫から妻として母として認めて大事にしてもらうことで愛情を感じていきましょう。
そのためには自分からも人に愛情を注ぐことを忘れないことが大切です。
そして、もしあなたが子育て中であれば、自分が経験したことを繰り返さないよう努めましょう。
親を反面教師にして自分がされていないことをわが子にすることは、なかなかハードルが高いかもしれませんが……。わが子が将来苦しまないようにするためにも、しっかりと親子の絆を今から深めていきましょう。
■まとめ
どう育てられたかが、その人の一生を決めるといっても過言ではありません。それほどまでに子ども時代、特に0歳~3歳までは大事な時期なのです。
『愛着障害~子ども時代を引きずる人々~ (光文社新書)』(岡田尊司)はこれからママになる人、そして今、現在進行形で乳幼児を育てているママにはぜひ読んでもらいたいお薦めの本です。参考にしてくださいね。
<参考>
ビッグイシュー『「気づかれない発達障害」が児童虐待につながる:杉山登志郎さんに聞く』
実は「字が汚い人」ほど頭がいいってホント?
2016年08月27日 21:52 All About
あの林修先生によると、「本当に頭がいい子ほど字が汚い」のだとか。これって本当なのでしょうか?
■美文字の秀才と、悪筆の天才
「字が綺麗なひとって賢そうな印象がありますが、林修先生によると『本当に頭がいい子ほど字が汚い』のだとか。どうなんでしょうか」と編集部からメールが飛んできたので、私(幼少時は字が綺麗と親からも先生からも褒められるよい子だったのに、大人になった現在、取材ノートは自分でも読めないのが困る)の思うところをお答えします。
林先生が説く「東大合格者トップ層は字が汚く、2番手グループは字が綺麗」には、私にもなんとなく実感があります。その昔、中学受験塾や美大受験予備校で国語や英語、現代文や小論文を指導していたころ、毎日のように生徒の小テストや作文を採点したり、授業中にノートを見回っていたりした私には一つ発見がありました。
「勉強のできる子には2種類いる。粒ぞろいの綺麗な字を書く秀才と、本人にしか(本人にも)読めない謎の象形文字を書く天才の2種類が」。
さらにその後、彼らを見守るうちに分かったことがありました。それは、
「字の綺麗な秀才タイプは、お手本をまねて紙上の空間のバランスを取りながら字を書くことができる。つまり『規範意識が強く、周りの秩序を重んじる』性格傾向があり、かつノートや答案を見る者(自分を含む)への強いプレゼン意識がある」、
そして、
「いわゆる悪筆で、もじょもじょと謎の線を書きつける天才タイプは、溢れるアイデアに手や言葉が追いついていかない傾向がある。そもそもノート自体が、のちに人が見るための記録ではなく紙上で書きながらリアルタイムに思考するためのツール。つまり勉強は他人のためでなく、あくまでも自分のため。考えること自体が楽しいという脳の持ち主で、その延長上で勉強ができてしまう」。
そして、確かに字が綺麗なほうが採点者(私)の印象はいいのだけれど、本質的な勉強のできるできないに字の綺麗さは全く関係ない、さらに言うなら「こんな考え方もあったのか!」と採点者が驚かされるような冴えた輝きを見せる生徒の字は大抵ヘタクソというのも、発見でした。
■日本の国語教育では「悪筆は恥」と刷り込まれる
私が小学生の頃(ええ昭和ですが何か)、親や他校の大人が見学にやってくるようなイベントが近づくと、先生たちは生徒に習字や作文を書かせ、せっせと壁に掲示したものです。日本の初等教育では、何かを書いたり描いたり作ったりするというのはどうしても「他者と並べられて品評される」ための行為なのですね。ですから、何を書き描いているかという中身よりも、見た目が綺麗で大人の目を引き感心させられるかどうかが、まず子どもたちの関心や動機になりがちだったように思います。特に女子。
特に国語教育では、過去も現在も漢字の書き取りにおいて字のバランスや“トメ・ハネ・ハライ”の細部の徹底に膨大な時間と労力を割いています。「書く」に「道」がついて書道なる伝統アートが存在するように、「字は精神を表す≒美文字は美意識と教養の高さ≒悪筆は恥じるべきこと」という感覚が、きわめて根深く刷り込まれているのが、日本の国語教育なわけです。
今もその潮流は健在で、日本では「字を綺麗にかけること」が学校での評価のわりと大きな部分を占めているような気が。「字が綺麗で、机の周りもロッカーも綺麗で、給食も綺麗に食べられて、挨拶がきちんとできる子は先生のお気に入りの“いい子”」、いまだにそんな感じですよね。それは自分のセールスポイントを他者に向けて可視化する能力、つまりプレゼン能力に長けている子どもです。
逆に、発想とエネルギーの塊のような、「字はぐちゃぐちゃで身の回りは散らかしっぱなし、給食中も考え事で頭がいっぱいなので食物を口に運ぶこと以外気にしない、歩いている時も頭がいっぱいなので周りが見えず挨拶なんておざなり」、そんな子は自分の能力が先生たちにわかりやすく可視化されていないので、「勉強はできても、だらしないのが欠点」などと、場合によっては面倒な問題児扱いされてしまうことも。
中身でなくルックス、本質でなく外形が評価されるとは、実に形式主義的だなーとも思うのですが、まぁ日本はそういうアプローチが好きな文化なので、そうやって刷り込まれ、小綺麗にまとまるように教育される傾向があることは否定できません。でも小綺麗にまとまるとは、つまり“小さくまとまる”、小粒だ……と言えなくもないですよね。
■「字が綺麗? だから何?」だった米国
美文字の秀才が秀才にとどまるのは、ひょっとすると“教養”や“美意識”を追求する動機の中に、「他人から見られること」「他者からの評価」が拭えないからかもしれないな、などと思うことがあります。他者からの評価を乞うのではなく、自分で自分の達成度やゴールを決めるような天才タイプは、他人にどう思われようが、比較されようが、自分で自分を褒めることも叱咤することもできる。だから、そういう子が字を綺麗に書くとすれば、それは人によく思われたいからではなくて、自分にとってそれが必要だからなのかもしれません。
大学生のとき、米国の大学のサマースクールでエッセイライティング(小論文講座)の授業を受けていました。私なりに衝撃を受けたのが、いかにも日本人らしくたおやかで控えめだけど英語能力はイマイチな他の女子学生が、典型的な日本の英語教育で習得した美しいスクリプト(筆記体)でエッセイを提出したとき、教授が「うわぁ、こんな繊細な筆跡は初めて見た!」と驚いてみせ、しかし内容が不十分だったのでその場で再提出を通告したのです。「綺麗だけど、内容にもっとエネルギーを使うべき」とばかりに。
ボストンの有名なアイビーリーグの大学でしたが、そこに通うアメリカ人たちの筆跡はどれも決して綺麗でないどころか、殴り書きに近いようなノートが散乱していました。ただ、書くスピードがとにかく速い。頭に浮かんだ先から書きつけているのがよく分かりました。大きな河を隔てた向こう岸には、もう一つ世界的に有名な理数系の大学があり、その学生たちの寮にも遊びに行きましたが、数学や物理を学ぶ彼らの部屋の中には、誰も読めないような数式(らしきもの)がのたくった紙が床じゅうに散らばっていました。天才たちの住処には美しく綴られた筆記体などなく、あるのは「彼らの思考を深めるために使われた文や記号や数式たち」でした。だからと言って、字が汚いほうが頭がいいなんてわけではないですよ! 「字の綺麗さ」にそれほど価値観をおかず、エネルギーも注がないということです。
日本では、美文字は「まともな大人のたしなみ」なのだとか。でも、広く世界に視野を広げればそれは素敵なスキルや美徳ではあるかもしれないけれど、日本のように、できないからといって「恥ずかしい」とか「頭が悪い」なんて烙印を押すようなことではないので、日本の初等教育で字の綺麗さにやたらとつぎ込むエネルギーは、もう少し他のこと――例えばもっと視野を広げること、知識を深めること、クリエイティブであることやユニークであることや逸脱を許すこと――に振り向けると、もう少し日本人全体が生きやすくなるかもしれませんね。まぁそう言いながら、キーボードや音声入力ばかりですっかり手書きをしなくなってしまった自分の筆跡が年々酷くなるのを見ると、毎年お正月あたりに「ペン字で美文字を身につけよう!」なんて折り込みチラシを熟読しちゃう私ですよ。
文・河崎 環
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http://sports.hankooki.com/lpage/music/201104/sp2011041406061995510.htm
「出来るという自信を得た。」
KARAの『ジェットコースターラブ』の作曲家ファン・ソンジェ、 彼の声は震えていた。
彼が作った『ジェットコースターラブ』は、43年3ヶ月で海外のガールグループとしては初めて、
オリコン シングル週間チャートで1位に上がった。
「大地震と発売延期などで、結果を全く予想できなかった」と言う彼は、
日本市場に対する徹底した研究が大記録を編み出した原動力だと言った。
「最初から日本人どもをターゲットにした歌だった。 例えば、国内では、サビを最初から音程を高く歌いながら始めると、
素晴らしいという評を聞く。 日本人は違う。あいつらはコーラスで歌う形式が好きで、次第に高まって後半にポイントを与えるのを好む。」
通常の日本の歌とは異なり、『ジェットコースターラブ』の伴奏は、派手に飾られた。
パーカッションやブラスを使って、K-POPの雰囲気を加味した。
構成は、日本の市場を意識したが、曲全体のイメージは、韓国的な感情を込めた。
彼は、今回の成果をKARAのメンバー達と、前にKARAの曲を作曲したハン・ジェホ、キム・ソンスのコンビのおかげだと言った。
ファン・ソンジェは、「様々なアレンジが混ざりながら、曲を表現するのは簡単でなかったはずなのに、
KARAのメンバーがうまく消化した。
『ミスター』、『ルパン』、『ジャンピン』等を作ったハン・ジェホ&キム・スンスのコンビが
日本の大衆の耳を先に引き付けていたことも大きな力になった」と話した。
「国内の作曲家達は、日本の市場で十分に通用することが出来る」と感じたというファン氏は、K-POPの競争力を高く評価した。
彼は「安全地帯や少女隊の歌を聴きながら、日本の音楽のように発展して、奮発しなければならないと考えたのは事実だ。
しかし、今は違う。 文化の力が違う。 韓国の音楽の方が優れているし、多様性でリードしている。
日本人どもの心を捕らえる程、強い。
ドラマや映画がそうだったように、音楽もしばらく強勢が予想される」と話した。
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レーザー はライト・アンプリフィケーション・バイ・スティミュレイテッド・エミッション オブ・ラジエーションの略(笑)、
レーダー はラジオ・ディテクション・アンド・レンジングの略(^O^)ノ